太田で生まれ足利で働き、今は横浜・金沢(町会名関ヶ谷)に住まいする万年ワケエシ(若い衆)が、望郷の念やみがたく一冊の文献とパソコン、それにいくつかのソフトでこんなページを作りました。
まったくの素人なのですが、八木節を愛してやまず、特に笛の音に取りつかれることン十年、何とかメロディだけでも覚えてみたいと、とうとう自分で採譜してしまいました。が、専門家から見れば欠陥だらけと思います。ご提言のページを設けましたのでアドバイスを頂ければこれに越した喜びはありません。またなんらかのご参考になれば、と思っています。
お詫び
空いた時間を見ながらボチボチ書き込んでいます。そのため文章に「です、ます]体と「である」体が混在しています。この点、その時の気分なのでご容赦下さい。ただし1つの文章の中では混在しないように注意しています。
このホームページは、八木節創設者とされる「堀込源太」師匠の孫にあたる書家「友常太響氏」の著書「我が回想の堀込源太」(宇都宮市、随想舎刊)を随所に引用しています。
また、桐生市役所ホームページの中の八木節関連ページからも沢山引用、リンクしたりしています。
本ホームページ作成にあたり、友常先生並びに桐生市役所、桐生八木節連絡協議会の皆様に心から御礼を申し上げます。
八木節は、簡単そうで非常に難しい民謡です。おそらく子供のころから聞いて育たないと唄えないのではないでしょうか。編集子も永いこと聞いていますが、唄っても単なる真似で、あの「味」は出せません。それ故、民謡大会などでも殆ど唄われないのだと思います。両毛地区以外の人であの味が出せる人はテレビ、ラジオでも聞いたことはありません。
このサイトでは、いろいろな八木節の情報を収集して載せて行きます。
多くの方が八木節は群馬の民謡と思っておられるようだが、八木節の「八木」とは、栃木・群馬県境にある、元栃木県足利郡御厨町福居の八木宿(現在は足利市)に由来する。八木宿は、例幣使街道の太田宿(群馬)の隣宿で、数キロしか離れていない。また創作者の堀込源太こと、渡邉源太郎の出身地である堀込も旧足利郡山辺村(現足利市)の大字で、これも県境である。
八木宿とは、町外れに松の木が8本あったので、こういう名称になったとか。
源太の出身地がこのような場所なので、弟子も群馬はもちろん、地理的にも近い埼玉にも及び、この地方で最も盛んになったので、いつしか群馬の民謡のようになったものと思われる。しかし発祥地は現在の栃木県足利市なのだ!
戦前は、桐生、足利、伊勢崎といういわゆる両毛地方は、繊維産業が盛んで結びつきも強かった。桐生、足利、太田などは、互いに接しており、この地方では越県合併なども行われた。このようなことから、足利を群馬と思い込む人までいる。
友常先生の著書を見ても、八木節が群馬の民謡のように思われていることは甚だ不愉快であると拝察する。