故郷を遠く離れても、子供の頃から聞いて育った民謡は忘れ難いもの。
八木節は一見単調そうでも、なかなか身にはつかない難しさがあります。特に笛に至っては、演者の特徴もあるのでしょうが、全然頭に入ってきません。ここでは、これらのことも研究します。
八木節は、他の民謡にくらべ著しい特徴がある。
多くの民謡は、労働歌など、仕事の能率を上げるために唄われた唄が次第に形をなして作り上げられたものが多い。その他には祝い唄、辛さを慰める唄など自然発生的で、いずれにしても創作者は曲、歌詞とも不明であるのが普通である。また歌詞も殆どが定まっている。
また、近年作られた作詞、作曲者がはっきりしているものは新民謡と呼ばれている。ところが八木節を新民謡だという人はいない。
特徴を挙げてみると
、
1.創作者が明白である。
2.歌詞は、物語となっているものが多いが定まっているわけではない。口説き(注)の一種だが、
その歌詞は作詞家、マニア、演者などが勝手に創作してよいため、歌詞は無数というほど沢山あ
る。
3.歌詞はすべて7文字詩である。民謡の多くは7・5調、特に7・7・7・5の都都逸調なのに対
し、非常に特異である。
4.その歌詞も物語となっているため大変長い。この点浪曲や河内音頭に似ている。
5.一節の行数も原則はあるが、正確に定まってはいない。歌い手任せである。また歌詞は創作また
はアドリブでもよい。この点、津軽じょんから節のようである。
6.笛のメロディーがバラエティに富んでいるのに対し、唄のメロディーは数節分しかなく、これが
繰り返される。どのメロディーを使って演ずるかは演者に任されているので、どんな歌詞にも応
用ができる。
7.囃子方(伴奏ではないので、こう言うことにする)の編成も他の民謡に比べ非常にユニークで人
数も多い。
8.囃子は歌手の伴奏をするわけではないので、囃子が歌手のキーに合わせる必要はない。
9.囃子方の笛以外の奏者は常に笛のメロディーで動いている。笛はバンドマスターであり、指揮者
でもある。
10.テレビなどによく出演するような有名民謡歌手でも、八木節をやる人はいない。多分できない
のだと推測する。昔、鈴木正夫という民謡歌手(懐かしい「愛ちゃんは太郎の嫁になる」の鈴木
美恵子の父)が歌っているのを聞いたが、似非だった。まして、江利チエミや小林幸子は真似事
でしかない。 また最近津軽民謡の岸千恵子が歌っていたが、これも駄目。
などがあげられる。
囃子でまず目につくのが、打楽器としての樽である。そのほか大太鼓、小太鼓などはさておき、鉦が入っている。この担当は鉦すりと呼ばれる。叩くより、中をすりまわすからである。また大小の鼓が用いられ、しかもこれを撥でたたく。メロディー楽器は笛のみである。更に変っているのは、歌手が歌っている間はお囃子は特には演奏せず、小節の区切りに1拍子を入れるだけである。つまり沢山の楽器は伴奏用ではないということだ。囃子方が活躍するのは間奏時で、このアンサンブルは大変にぎやかで、一種のオーケストラと言える。こういう民謡は他には聞いたことがない。
編者の小さい頃は、盆踊りと言えば八木節に決まっていた。その他は何一つやらない。要するに踊りつきの八木節大会である。だから盆踊りとは八木節の別名と思っていた。この踊りも大変ユニークで、唐傘踊りとも言い、若い衆が女物の浴衣にたすきがけで、紙製の花をつけた小ぶりで派手な唐傘を持って踊るのが主流である。この踊りは、通常櫓の一段下に踊りの舞台が設けられ、その上で踊る。それ故、踊りは踊りで1つのショーになっており、一般の盆踊りのように参加者がみんなで踊って楽しむのとは異なる。この踊りがまた激しい動作で、暑い時分故、一踊りすると踊り子は汗びっしょりになる。
このように、我が故郷の盆踊りとは八木節ショーなのだ。しかし、編者の知る限り、このショーには女っ気はまったくなかった。
(注)口説き節とは (yahoo国語辞書より)
[1]民謡で七・七・七・七または七・五・七・五の四句を一単位にした節を繰り返してうたっていく長編の物語唄。「相川音頭」「八木節」などがその代表例。和讃や御詠歌から出たと考えられる。口説唄。口説。 |
[2] |
俗曲の一。瞽女(ごぜ)などが、三味線にあわせて、あわれな調子でうたうもの。鈴木主水(もんど)・八百屋お七など心中や情話が主。 |